wacana29’s blog

思ったことを気楽に文章にして積んでおきたいだけの倉庫。

キンプリベストテンを浴びた感想

 キンプリベストテン(KING OF PRISM ALL STARS -プリズムショー☆ベストテン-)を観たので、ランクインしてたショーを改めて観た感想などを。だいぶ感情が散らかってますが雰囲気で読んでください。プリズムの煌めきを浴びると元気が出る代わりに語彙力が溶けるんだよなぁ。

 

 ※順位などに関するネタバレを含みます。まだ見てない方は先に劇場へ…!

 

 順位のネタバレを含みますと書いといてあれなんですが、途中途中記憶があやふやです。だいたい10位→1位の順番で書こうとしてますが、順位が書いてないところはふわっと補完してください。また、ところどころ歌詞の引用がありますが、当方はライト勢なので表記など誤記ありそうな気がします。すいません。フィーリングで煌めき浴びてる人です。よしなに。

 

 

 

涼野ユウ/Shiny Stellar

 ユウくんだ! エッユウくんで10位なの!? 上位どんだけすごいプリズムショーなんだ!? と思ったくらいにはユウくんのショーが好きです。

 あーイントロで脳が溶ける、好き。曲が好き顔が好き声が好き歌がうまい!!! ミュージックビデオ風の演出入るの好きー!

 プリズムラーーーーーイブ!!!からの全楽器自分で演奏するユウくんまごうことなき天才アーティスト、まじ天才、生まれてきてくれてありがとうゼウス。

 RL勢からのオバレの先のセプテントリオンなのほんとにほんとにほんとに好き……あとカメラが引いて後ろの天体?みたいなのぐわあって見えるとこ好き(伝わりづらい)。

 好きな歌詞「遠くてまだ誰も知らない星座 輝くseven stars」…まだ誰も知らない星座を俺は知ってる!!っていうユウくんの思いが伝わってくるようで…セプテントリオンを見つけ出してくれたのはユウくんなんだなぁ…。

 

香賀美タイガ/Fly in the sky

 推しーーーーーーーーーーー!!!!エッタイガきゅんで9位なの!?上位どんだけ(ry

 曲調の爽やかさダントツじゃないですか…?透き通ってる…。イントロが好き。

 気になってショーの内容どころじゃない衣装圧倒的ナンバーワンだとおもう褌、脚、うちわ…。

 そして最後のキッスで全部持っていきやがる…ダイスキかわいい…

 あと歌声がすーーーーーごいすき!!!なんですよね、あとうまい。全歌詞「聴こえる」のすごい(これけっこうすごいとおもうんだ)、前述のとおり当方は歌詞カードなどを確認する癖がないのであれなんですが、Fly in the skyはたぶん全部文字起こしできます。畠中祐さんがすごいんだ。

 ヒラってなるハッピすきぃ!!!ってなりますね。防御力低そうな衣装だけど不思議とボリュームはあるんだよなぁ。シルエット。このへんもレオきゅんのセンスが光ってる気がします。

 「熱く燃える 輝くってことも」のところの足の動きめちゃくちゃすき(細かい推しポイント)(推しに関しては変態的に見がち)。あと「あの人は俺のすべて 変えてくれた」からのターンしてBメロに入る途中の指の動きが好きです。(変態?)

 「翼広げて〜」の歌い方すんごいすきなんですけど伝わる? 音楽用語がわかんないんだけど「て」から「ええ〜」と音が下がっていくやつすき……もう全部好きなんじゃん私。わかる。全部好き。

 特に好きな歌詞「翼広げて 自由に羽ばたけ ストリートから空へ」…ストリートから空へ、最高じゃないですか? 高架の下でくすぶってた彼がスタァとして羽ばたいているまさにその瞬間……尊い

 

西園寺レオ/Twinkle☆Twinkle

 うわーーーーんやっぱり泣いた!!!!

 レオきゅん、表情がほんとチャーミングですき…すき。

 踊りもすんごくすきで…なんかこう…可愛い…可愛いんだけどかっこいい…チャーミング…。「女の子らしさ」とか「男の子らしさ」とかから解き放たれた「かっこよさとかわいさ」「見ていて勇気をもらえるもの」が詰まってるレオきゅんのショー、改めて見てまたギュンとすきになっちゃった。

 一緒に観に行ってくれた友達に言われて気づいたけど、変身前のシュッとした衣装は「花開く前」の状態なのかぁ…。開花前も後も、どっちも似合っててめちゃくちゃすき。

 好きな歌詞「他の誰でもない わたしらしく 本当の自分で 胸を張ってゆこう」…レオきゅんの全てが詰まっているし純粋にわたしがすんごく励まされる言葉…。

 あぁこう言ってくれる人が必要だったんだなぁっていう個人的なことと相まって、ほんとにほんとに毎回泣いてしまう…。レオくんは天使だよ…だいすき。

 わたしレオくん別に推しではない(…? こんなに好きなのに?)のだけど、純粋に「どのプリズムショーが一番感動したか」だとこのレオきゅんのTwinkle⭐︎Twinkleに一票入れたいです。レオくんもっと順位高かった…?7位とか6位とかだった気もする?わからん。とりあえず泣いた。

 

太刀花ユキノジョウ/百花繚乱

 ユキ様だ〜〜! 個人的にイントロで曲紹介が画面に出たとき「あっこれガチの音楽番組であるやつだ」ってくらいハマってたやべえ“絵になる”感がほんとにすごい…美しさ…。ユキ様は8位とかだった気がするかもしれない。わからねえ。このへんからもう記憶がないです。

 ウェルカムインタビューでレオくんの衣装も背中を押してくれた…っていう話をしてたのよかったな〜ユキ様の衣装はダントツで好きなんですよね…。ハァーー…優雅…美しい…たおやか…。機能性も重視しているというのを聞いてなるほどと思った、あの脚の美しさ。

 そして踊りは力強い!ところが!すき…!

 あのさぁ 脚がすき…すきなんですよ。あの、脚をカメラのほうに出すとこがあるじゃないですか…は〜〜すきです…。(こまかい)

 あと師匠〜!!のところコール入れる仕様になってたのわらった。応援上映いきたい。

 前奏からAメロに入るところで傘を閉じてカメラ目線のところと、あとサビに入る前かな、傘をふわっと手放すの好きです。ああいう小道具取り入れた演出させたらダントツで光るよな~~国立屋!!!すき!

 好きな歌詞「いずれ滅ぶこの身体 ならば共に散るまで」…ユキ様の覚悟が垣間見れて好きな歌詞です。

 ユキ様はあの見た目で、普段は天然、真剣なときは中身めちゃくちゃ熱い人なのがいいよなぁ…。ぜんぜんクールぶらないところ、好き。

 

鷹梁ミナト/Sailing!

 ミナトさん!!!! 友達も言ってたけどこの優しい顔で「オレ」っていうのずるい。わかる。好き。

 みんなの港、帰ってくる場所…。ミナトという光を見つけて安心して帰ってきて、そしたら温かいごはんが待ってる…。なんというか、ミナトさんって縁の下の力持ちというか、影のまとめ役というか、みんなを繋げる優しいお兄さんポジションで、彼は周りの人たちのための「引き立て役」だと自分で思ってたんだろうけど。

 むしろ暗闇の中でも同じ場所に立って明かりを灯して待ってくれているミナトさん、そこへ帰っていくエデロのみんな…って、もうミナトさんそれだけでスタァだよなぁ…!と再認識させられたショーだったな、って思い出しました。暗い航路を導く灯台の明かり、それがミナトさんのスタァ性だよなぁ。

 好きな歌詞「どんなに遠く 離れたって 待っててくれる人たちがいる」…ミナトさんを待っててくれてる家族がいるっていう実感を持って聞くとジーンとする好きな歌詞。そういう人に俺もなりたいんだ、っていうミナトさんの原点…だよなぁ。

 あとふつうにすんごく歌声が優しくて好きですね…。サビの最後、「輝いていた」の余韻をうまく残した歌い方すごい好きじゃないですか?すきです。

 

十王院カケル/Orange Flamingo

 上位!わかる!納得!こいつはやばかったぜ!

 正直天然ガスにオレンジのフラミンゴに今世紀最大の規模で世界の謎を生み出してくれやがったな監督…(?)って感じなんですけど、彼がオレンジのフラミンゴの祝福を受けし者なのはわかりました。イヤ規模がでけえ好きだよこういうの。

 世界に羽ばたけカケル〜!って応援したくなる、スタァとして完璧なショーですよね…。

 個人的には眼鏡の演出がずるいと思ってて、メガネが光ってて顔がよく見えないミステリアスなシーンと、ふっと見えた目がすげえええええかっこよくて息止まりそうになったりするシーンのギャップがずるくて…もう…カケル〜〜〜!!

 応援上映が楽しいのはこのショーがダントツかもな〜って気がするのでこのショーのためにベストテンやってる間に応援上映行きたいですね…。

 正直ノリだけで聴いてて歌詞がほとんど聞き取れてないので、「フラミンゴ」と「オレレオレンジに染めろ」くらいしかほんとわかんなくて申し訳ないのだけど、他に聞き取れた範囲では「ちょいハードなステージもスマートがモットー」がカケルらしくて好きな歌詞です。

 チャラめに言っちゃってるけどちゃんとスマートにやってのけるその誠実さがさすがすぎるんだよなぁ。まえにツイッターで「有能カズオ坊ちゃんとチャラエモスタァカケルが乖離せず(裏の顔・表の顔というのではなく、同時にそこに)存在しているのが好き」みたいなこと言った気がするんですけど、ほんとそういうところです…彼の好きなところ。

 

一条シン(シャイン)/プラトニックソード

 こわいこわいこわい!

 改めて直視して改めて怖いなと思った。あとさぁ!斎賀みつきさん(シャイン)さぁ!!声かっこよすぎ…こわ…すき…演技もそうだし歌ってても男声に聴こえるのなんなん…?最強か…?

 モーションもそうなんだけど、表情がマジで絶妙に上手いよなぁとおもった。あんなに笑ってるのに目が笑ってない…。

 あのですねぇ、彼の登場前は顔面好きなのヒロ様ダントツだったんですけど、シャインのビジュアル好きすぎてちょっと持ってかれましたね…は…?銀髪?金と赤の目…?つり目にあの眉…笑ってるのに笑ってない目…長髪一部三つ編み…は?わたし特攻か?びっくりしたわ…。

 シンくんの人畜無害な雰囲気のせいで、あの顔面の良さが良い意味で緩和されてて気づかなかったんだな…ってシン入シャインさん見てておもいました。ヒロ様はわりと初見時から尖ってるというかキリッとしたらキリッとなるイメージだったからなぁ。

 好きな歌詞「生きとし生けるものに救いを」…歌詞か?歌詞にカウントしていいよね?なんかこういうところがシャインの愛の大きさを表してるとおもうんですよ。一個人の人間には到底受け止めきれない輝きが彼にはある。というか彼自身が輝きの本体だから怖いんだよな。人間の愛じゃないんだよな。神の愛。それを個人レベルで直にぶつけられたら怖いんだわ。

 

一条シン/ダイスキリフレイン(※ランク外新曲)

 きゃーーーーーこれが見たかったよシンくん!おかえり!!!

 ピュアピュアでまぶしいしセプトリ集合して踊るの最高すぎか…?

 要所要所でプラトニックソードの振りっぽいのがあったり、動きがカクカクしてたやつに寄せてたりなんかもーーーーあっシンくんは“彼”でもあるんだな…とおもった…。

 あのあったかみにあふれるショーでちょっとだけゾクッとしちゃうのまじで監督ゥ…!!! 一瞬右目がちらっと光ったのなんなの?そこにシャインがいるの?

 純粋にシンくんとして見ればほんとに「大好き」が溢れててあったかくて最高だったね…とりあえずダイスキリフレイン買おうと思いました。

 好きな歌詞:「ありがとうの気持ちをダイスキに乗せよう」、ダイスキですね。ありがとうの代わりに好きって言わせて、っていう歌詞、どの曲だったっけ…キンプリライト勢なのでどの楽曲だったか忘れちゃったごめんなさい。ドラマチックLOVEかな? やっぱりあの七人のスタァの中心にいるのがシンくんなんだなぁって、おもいました、すき…。

 でもこの胸熱はシャインの乱入があったからこそというか。いちどファンを悲しませてしまった、ということを上回る「ダイスキ」を、シンくんが真摯にああやって伝えてくれたことに価値があると思うので…監督ぅ…。

 

仁科カヅキ/FREEDOM -THUNDER STORM ver.-

 個人的殿堂入りの大好きなショー。あれ、でも順位はけっこう中盤だった気がする。先にセプトリ一周しちゃった。

 カヅキ先輩はこう…歌声とかダンスとか表情とか、全部等身大なのが好き…そのままでスタァ…。

 破格すぎて失格扱いになったショーだったけど、得点的にはプリズムキングになったヒロ様に並んでたわけだし…あぁほんと、オバレのカヅキ&ヒロはどこまでも対等なライバルなんだなと…(コウジは二人の間で「ウフフ♡」って笑ってるイメージ強すぎる)(キンプリ以降コウジはそういうスタァとして自分を磨くみたいな段階より一歩先(?)にいる気がする…)

 仁科カヅキってやっぱこれだけのショーをやっておいて(やっておいて)特に得点とか結果に執着心を一切見せないのすごい仁科カヅキだよなぁ…って思いました。

 みんながフリーダムで笑顔ならバーニングだぜ!(?)みたいなとこあるよね好き。審査員とか外野の思惑による合否とか全然まったく意に介してないっていうか…。アカデミー系のステージに立ってる以上、仲間が不当な評価されると不満を示すイメージだけど、自分のショーに関しては自分が納得してて見てる人が熱くなれればいいんだよね…こういうところストリート系のカリスマだから…。

 あと改めて思ったのは、キンプリ初見のときはアレクとカヅキが対等なライバル的立ち位置なのかと思ってたんですけど、わりとカヅキのほうが何枚も上手だった…(?)というか。

 アレクからライバル心燃やされて、カヅキは受けて立つ、燃える、けど「アレクを超えたい」みたいな対抗心を持ってるわけじゃないんだよなぁって…。カヅキが本気で対抗心燃やすのはヒロなんだよなぁって…(そしてヒロに「あとは頼んだぜ」とか言う)(言ってたっけ?幻聴だったらすまない)

 アレクの壊したステージを作り直して「ほらみんな泣くなよ!まだプリズムショーできるぜ!」ってあとをヒロに託したのそういうところだよなぁって…。

 アレクのショーのこと「ちょっと熱すぎてやんちゃしちまったな!オレが直しといたから気にすんなよ!」って思ってるでしょ…すき…。

 やっぱトラチが言ってたように「記録じゃなくて記憶に残るショーだった」んだよね。はーー!数字に左右されないストリートの強さ!!!すっかりストリート系箱推しですね。だいたいカヅキさんのせいだよ。

 好きな歌詞は「歯食いしばり 超えた壁が お前の背中を守る」。なんか“視点が強”くないですか? ああそういう世界の見方をしているんだこの人…。どこまでもストリート系魂なの、そういうところ…。

 サンダーストームバージョンのアレンジめちゃくちゃ好きだなと思ったので買います。売ってる?買います。

 

速水ヒロ/pride -KING OF PRISM ver.-

 いよっキングオブプリズム!!!プライドザヒーロー!!!堂々の1位、納得しかないですね。

 ヒロ様、わたしはキンプリから入ってキンプラからのRLを経て、割と「シンデレラ的王子様」(シンデレラの王子様じゃなくてシンデレラ的な出世の仕方をした後天性王子様)(後天性王子様ってなんだ?)みたいなイメージで、つまりこう「王子様!プリンス!」っていうイメージが固かったんですけど、このショーで「戴冠」して「王様(キング)になったな…!」って感じだよね…すき。ひとりでキング&プリンスしてるじゃん。つよ。

 そしてもともと(?)王子様なので王様になることになんの違和感もない…みたいなとこある。あった。地球は黄色かった。

 あとオバレの幻影引き連れて戴冠したのほんと好きだな…って思いました。彼一人ではここまで来なかったんだろうなぁって…。(「来られた」かもしれないけど、「来なかった」と思う)

 好きな歌詞は…って挙げようとしたら特に抜き出す隙が無かった。この曲、「スタァとしての速水ヒロ」を完璧に表してるんだけど、「速水ヒロ」個人が全然見えてこない…?気がする。ある意味でアイドルの歌として完璧、隙がない。敢えて言うならねちっこい感じがヒロのコウジの曲への執着を表している気がするけど。

 代わりに…というとあれだけどこの曲、前奏がどちゃくそに好きです。あと前野さんの中低音の歌声好きなんだよなぁ…。低すぎず高すぎず響く感じ…。サビの「Iが違う」に入ったときの声好き。(伝わるか?)

 

 

その他雑記

・冒頭のインタビューシンルヰかわいすぎでしょなにあれ?いきなり心臓止まるかとおもったでしょ????

・ユキ様&レオくんは安定の微笑ましさ…。カワイイ。

・タイガとカケルも安定の絡み。カケルの「あれあれぇ~?」が一番イキイキするの対タイガのときだよね、と思う。

・トラチドラチかわいすぎない????????えっめっちゃ喋るじゃん。カワイイ

・保護者してるタイガ&アレク好き。ツンケンしつつなんだかんだ面倒見がいい。

・ちょくちょく「ブレイクタイム」と称して挟まれる語学講座が一番笑いこらえるの大変で休まらなかった(通常上映だったので)(たまに我慢できないで吹き出してた)

・シュワロはランクインしなかったんだな~と思ったけど、ベストテンということはセプトリ+オバレで理論上枠が埋まってしまうので、順位は妥当なのかな~と思った。セプトリのナナイロノチカイが入ったのでコウジもいなかったね…。ルヰくん、アレクはもちろん、ジョージのショーとかもかなり好きなんだよなぁ。

・ちょうど行こうと思った日にストリートルートやってたのでランクに漏れたアレクいっぱい浴びれて幸せだった。武内駿輔、歌声がいっとうすき…。体格も歌声もダントツでアレクが好きだよ。黒川冷リスペクトなのがもう好きだよね…。

 

 

 

 

 そんな感じで感想でした!また浴びにいきたい。

冷たい砂漠で渇いた人間は、優しさという水を求めて彷徨う

|年末年始とスピード感、そして背中に冷たい世界

  なんだか昨晩は眠れなくて久しぶりにどうでもいい感じの思考試験をしていたので、どうでもいい感じの日記にして書いておくよ。

 

 クリスマスが終わったらすっかり年末、1月1日の午前0:00に飛び交うであろうあけおめの文字、お正月も三が日もそこそこに世間は仕事始め……。

 

 毎年思うんだけど、このスピード感というか、切り替えの速さってなんなんだろうな? と。そんなにいそいそと、生き急ぐ必要性ってあるのかな?

 

 電車の運行も分刻み、たかが2分遅れたくらいで謝罪のアナウンス。

 時間に正確というが、それも過ぎたるは及ばざるがごとし、そんなに美談ではない。時刻、数字、そういうのが「ぴったりであること」に執着が過ぎない?

 

 そりゃ病むわ。

 

 なんというか、私が病んだのはコレだわ。

 

 スピード感が早すぎて、自分はついていけない。だけど、それが理由でドロップアウトしたら、それで終わり。

 

 世界は私に見向きもしない。

 

 いや、正確には、「人間は」たまに見向きしてくれる。

 だけど、それが「社会」を構成する一部になると。途端に冷徹になる。

 

 具体的な「見向きしてくれる顔」を思い浮かべて、なんとか生きてる。

 

 都会に行って思った。ぼんやりとだけど、ここにいたら、自分がなりたくない人間にならざるをえない、って。

 

 だってみんな冷たい。余裕なんかない。自分のことで精一杯。顔も知らない通りすがりには、とことん冷たい。

 

 

 

|冷たい世界で生きる、人間の優しさ

 

 先日、優しさの話を読んだ。

 

 優しさって有限のリソースだって。だから、顔の見える、大事な身近な誰かに渡すものだって。

 

 その結果、見向きもされない誰かが日々生まれている。彼らが、顔のない誰かが、そういう「冷たさ」しか心に蓄えられないと。

 

 打ち捨てられた誰かに、そうやって少しだけ目を向けた記事だった。

 

 あぁ、そうなんだ。わたしは、わたしに優しさを分けてくれた、あの人やこの人がいなかったら、そういう「冷たさしか持ってない人」になってしまっていたんだ。そう思った。単純に、他人事じゃないって。

 

 その人の、自分の性格がどうとかではない。どんなに優しい人でも、その人が今まで受け取ってきた分までしか、人には優しくできないんだ。

 

 だから限界が来る。そうしたら、これまで優しさを分けてあげた誰かに、それ以上優しさをあげられない。

 

 それって、その人の優しさを充てにしていた相手は「裏切られた」って感じるんじゃないか。

 その人のほかに、優しさをくれる人がいなかったら。冷たく心を閉ざしていくしかないんじゃないか。

 

 そういう人にならないためには、どうしたらいいんだろう。

 

 そういう人を生まないためには、どうしたら。

 

 ……たぶん、そういう人を救うために公的機関がある。生活保護だとか、社会保障とか。基本的人権を守ってくれる法が。

 でも、そういう「冷たさ」って、必ずしも経済的困窮から来るものだけじゃない。

 

 裕福でも支配されていたり、拘束されていたり。

 支配したり、拘束したりすることでしか、自分の中にたまった「冷たさ」を紛らわすことができなかったり。

 

 あぁ、なるほどな。冷たい世界に生きてるんだ。みんな。

 

 冷たい世界で、人間は身を寄せ合って、優しさを分け合って生きてきたんだ。

 

 そうしないと生きられなかったんだ。

 

 だから、都会に出て「ひとりに」なったわたしは、「冷たさ」に凍えてしまったんだ。

 

 

 

|優しさを受け取るということ

 

 ひとからの優しさがなかったんじゃない。受け取るのが下手だった。いまもそう。

 

 優しさを受け取ると、その分の優しさはその人に返さなきゃと思う。

 

 一人からたくさんの優しさを受け取ると、こんなに返さなきゃいけない、というのが頭を過ぎる。

 

 だけど、ちょっと違うのかもしれない。

 

 優しさを受け取ったら、その分は、自分の冷たさを埋めるのに使っていい。

 

 たくさんもらったら、その人にはほんの少し返せる時に返せばいい。

 

 自分の冷たさが埋まったら、今度は、余った分を、自分が大切だと思う人に少しずつ分ければいい。

 

 それは、持っていていいもの。

 

 わたしに渡された優しさは、わたしのものだから、わたしのために持っていていい。

 使いたい時に使っていい。

 あげて惜しくないと思える人になら、あげていい。

 

 なんだか今まで、すぐに返さなきゃ、と思って辛くなってたけど、別に借金を作ったみたいに考えなくていいんだ。

 

 優しさは有限のリソースだけど、それをくれるという行為は、金を貸すという行為とは違う。

 

 

 

|優しさって、もらったら自分のもの

 

 たとえば、プレゼントをあげるようなもの。

 

 プレゼントをもらったら、嬉しいかもしれないし、くれた相手やモノによっては嬉しくないかもしれない。

 受け取る義務はない。気に入らなかったら、突き返したっていい。でもまあ、受け取って、あとは自分のものとして使っていい。食べるものなら食べていい、栄養にしていいよね。

 

 で、プレゼントをくれた人に、どれくらいの物を返すかは、自分で決めていい。 

 

 たとえば高価な腕時計をもらったとして、相手にも高価な腕時計を贈る?

 

 ううん、たぶん、その人は「お返しには高価な腕時計が欲しい」と思って、くれたんじゃない。

 その人は、「高価な腕時計を渡したい」と思って、くれたはず。

 

 自分がこんな高価なものを身につけるのは変だよなぁ、って思ったなら、その腕時計は自室にそっとしまっておけばいい。

 嫌なら無理に身に付ける必要はない。

 

 その人がいるところで、その人にもらった腕時計をつけてみて、その人が「あぁ、気に入ってくれたんだ」って喜ぶ…なんていう未来図があっても、素敵だけど。

 

 素敵だけど、別にそうであるべきというわけじゃない。

 

 気に入らなかったら身につける必要はないし、お礼だけ言って、あとはしまっておいてもいい。

 もらった翌日とかにメ●カリで売りに出したりしたら、たぶんちょっと優しくないけど。でも自分にとって意味のない時計よりお金が大事なら、まあ、そうする自由はある。

 もらったものは、自分のものだから。

 

 

 

|優しさってひとつじゃない

 

 優しさを受け取る時も、たぶん同じ。

 もらう優しさぜんぶが、自分の「冷たさ」を埋めるのにちょうどいいわけじゃない。

 

 自分に合わなかったら、別に使わなくていい。無理して身につけようとしなくていい。

 

 もらって嬉しかったら、それを伝えればいい。お礼を言えばいい。もらった優しさと同じ物を返す義務はない。

 

 もし、優しさをくれた人が、「私はこんなに優しくしたんだから、君も私に同じだけ優しくするべき」って言い出したら、その人のくれた優しさはたぶん、優しさというラベルを貼ったゴミ。

 

 それって優しさじゃない。たぶん。

 

 ゴミは言いすぎたかも。ごめん。私も優しさっていう包装紙に包んだガラクタを配ってることがあるかもしれない。

 

 でも、自分にとってゴミでも、誰かにとっては価値のあるものかもしれない。

 でもね、自分にとってゴミなら、捨てていいんだよ。

 

 捨てたくないけど、持っているには重いなら、ちょっと横に置いておけばいいと思う。

 しまっておく場所がないなら、手放してもいいと思う。

 

 冷たさが埋まってきて、かじかんでいた手も動くようになって。

 その受け取った時には重かった優しさを運べるようになったら、他の人に配ればいい。

 切り分けることができたなら、少しずつ返してもいい。

 

 そうやって、冷たい世界のなかで、自分に必要な優しさだけを拾って、生きていきたいなと思った。

 

 

 

|結局のところ

 

 優しさは、持っていていいもの。

 

 持っているのが重かったら、そんな余裕がなかったら、手放してもいいもの。

 

 自分に合わなかったら、身につけなくてもいいもの。

 

 見返りを期待した優しさって、お互いの首を絞めるだけのガラクタ。

 不要なゴミを押しつけられたら、捨てたっていい。

 

 まとまらないけど、なんか、そんな感じかなって思った。優しさって難しいね。

 

 私も好きな人に重めの優しさを押し付けがちだけど、相手にとって負担になってないといいなぁ。

 負担になってるなら、その優しさは毒にもなるよなぁ。とか。

 

 どこかで返さなきゃとか、そんなん気にしないで流してくれてるといいなぁ。

 

 逆に、重めの優しさをぜんぶ受け止めようとして潰れたこともあるから。

 そういうのもね、気をつけたいよね。うまく流して、自分の欲しいものだけ受け取っていればいい。

 

 あとね、意外と世の中には、「見返りを期待してない優しさ」とか、「見返りを期待している優しさっていう名前の何か」とか、「受け止めきれないくらい重い優しさ」とか、「大きすぎて心に入りきらない優しさ」とか、溢れかえってるんだよね。

 

 世界は冷たいって思ったし、冷たい世界が砂漠みたいに存在するのもほんとうだし。

 だからこそ優しさという水をどうにかして求めたり、大事な人に過剰なほど注いでしまったりするんだろうね。

 

 

 

|冷たい砂漠で渇く人間は、優しさという水を求める

 

 世界は冷たいけど、優しさという名前のものであふれてる。

 

 欲しい分だけ受け取って。

 相手が欲しいっていう分だけわけてあげて。

 それで苦しさは減るかもしれない。

 

 そもそも自分の欲しい分が与えられないなら、そうだな。自分が欲しい優しさが余ってそうなところ…オアシスをさがすしかないのかな。

 

 砂漠を出して思ったけど、「冷たさ」って「渇き」で、それをうめる優しさが水なのかもね。

 

 水って言ってもいろいろあるじゃない。

 甘いジュースとか。酸っぱいジュースとか。炭酸水とか。アルコールが強かったり、硬水だったり。

 あとは何? 美味しい水っていうラベルを貼った泥水なんかもあるかもね。

 

 今求めている水がなんなのか、それを自覚するといいのかもしれない。

 めちゃくちゃ喉渇いてて空きっ腹に、善意でアルコール度数ヤバいお酒とか流し込まれたら死ぬじゃない。

 そういうのは、拒否していいの。

 

 甘いジュースはいらないから、お水だけちょうだい、それでいいの。

 今日はコーヒーが飲みたい気分だったけど、炭酸水をもらったらこれでいいか。それでもいいの。

 紅茶が飲みたいから、コーヒーを買ってこられても嬉しくない。それでもいいの。

 

 欲しいものがあるなら、それを明確に言語化できればいいんだろうな。

 

 「あー、今日はミルクティーが飲みたいな!」って言ったら、ミルクティーを買ってきてくれる人がいるかもしれない。

 いなくても、冷たい砂漠を恨む必要は、ない。そういうものと思っていいんだと思う。

 

 「喉が渇いたな…」って言ってる人がいたら、「水でも飲みます?」って水を差し出せるのが優しい人だし。

 そこにアルコールぶち込んだらちょっとヤバい人だよね、関わらなくていいとおもう。

 

 水を差し出せるほどのリソースがなかったら、自分の身を切ってまで差し出す必要はないし。

 他人の飲みかけの水を飲みたいほど渇いてる人がいたなら、ありあわせの水を差し出したっていいし。

 

 でも、だからっていつも目の前にきて「喉が渇いたなぁ」って言われても、いつでも自分のところに水があるわけじゃないし。

 

 渡せる分だけ。受け取れる分だけ。

 

 そうやって優しさの水が回っていく世界になったら、冷たさの砂漠はそのままでも、生きるのがそんなに苦しくなくなるのかもしれないね。

KING OF PRISM-Shiny Seven Stars- 感想

 久しぶりの記事ですね。元気でした。もう3月かよ。

 

 KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-を観てきて、感想を思いのままメモ帳に書きなぐっていたらPCが落ちて、初めから書き直しになったのでキレましたがわたしは元気です。テキストの鮮度と煌めき度が高すぎて寝起きのPCちゃんには受け止めきれなかったようです。

 いっそ丁寧に書き直そう、というわけで記事にしました。ついでに自動バックアップしてくれるGoogleドキュメントに移行しました。急に落ちるの心臓に悪いからやめてほしい。買ったばかりだぞPCちゃん。がんばって。

 

 うちのPCちゃんのことはいいとして、さっそくKing of Prism -Shiny Seven Stars-の感想を。まだ見てない人はぜひ劇場へ行ってください。この記事読まなくていいからはやく劇場へ。

 



映像に関して

 いや、あの、3Dやばくね……?

 ユキ様の衣装の袖!!! なめらかで優雅な袖が存分に表現されててびっくりした。

 安い3Dだとあれただの「面」になっちゃいそうなのに、ちゃんと「薄い厚み」があった。布だった。あとタイガきゅんの衣装は布面積少なくておばさん心配でした。らっせーらーらっせらー!! 目のやり場に困るよ! 足綺麗!! 半被がひらめくのめちゃくちゃ好きですね。

 いつも3D作品全般に感じている「ムズムズ感」がほとんどなかったのがすごい。あの、あれですよ、ロボットが人間っぽくなる過程で妙に気持ち悪く感じる段階があるじゃない?なんていうんだっけあれ。あれをちょっと乗り越えてきたなって感じ。すごいよ。そこに「生きてる」感がすごい。あれだけ見にもう一回行きたい。

 アニメキャラの表情とか仕草とかって、私は2Ⅾアニメならではの「重さ」や「隙」が好きなんで、3Ⅾアニメは基本的に苦手なんですけど、そのへんもなんか違和感なくちゃんと観れた。うまく言えないけど、すごくよかったです。



ユキ様の負うものが半端ない重さだった

 ちょっとユキ様の肩にのしかかってるものの重さ舐めてましたすいません。歌舞伎役者もプリズムスタァもこなすってヤバい大変なことなんだなぁと、改めて敬服…。

 プリズムショーに出ることを許容するどころかユキ様の成長の場として認めてくれたご両親の度量の広さがすごいなぁ、というか、はじめはプリズムショーの舞台に立つことに対してとても厳しかったお父様からその見解を引き出したユキ様、めちゃくちゃ頑張ったしすごいね…偉いね…。

 でもお母様、かんざしぶっ刺したシーンはさすがにやりすぎというか確実にトラウマもんですよあれ。お母様もめちゃくちゃ熱い人だなぁというのがわかって良かったけれど、というか「血を受け継ぐ」という描写において絶対に絶対に必要なシーンではあったけれど、幼少ユキ様よくあの血塗れのかんざし手に取ったな。すごい胆力だな。

 歌舞伎くわしくないけど、歌舞伎の要素がふんだんに使われながらも綺麗にショーとしてまとめられていた素敵なステージだった。見得を切るところ(正式名称わからない)、ユキ様のあの端正なお顔で傾(かぶ)かれるとなんかこう、どういう気持ちで見ればいいのかわからないけど、あっすごい、歌舞伎役者だ!ってなった。

 鏡に映った自分を叩き割って「今の自分には歌舞伎の舞台にもプリズムショーのステージにも立つ資格がない」って吐露するところのユキ様がすごく印象的でした。すごく熱いものを秘めてるんだなぁ…と。

 だって、最初に見たキンプリの第一印象では、ユキ様ってすでにあの歳にして歌舞伎もプリズムショーもそつなくこなしている気立てのいい天才というイメージしかなかったのに、ふたを開けてみればちゃんと悩んで立ち止まったりする成長途上の高校生だったんですよ。普段チャラチャラしていろいろはぐらかしがちなカケルと、普段ふわふわしてみんなを甘やかしがちなミナトさんが、あの時ばかりは厳しめにユキ様の本心を問い詰めていったのも、とても良かったですね。青春ですね。熱い。ところでシンくんは人を疑うことをしなさすぎですよね。それこそが彼の魅力だけど。

 ユキ様の「シンのショーが好きだから」っていう言葉に純粋に喜んでる嬉しそうなシンくんの声を聞きながら、深刻な表情するカケルとミナトさん、あの壁を隔てた感情のコントラストもすごく印象的でした。なんというか、キレイだよね。話も映像も。だから好きなんですよねキンプリ。

 お母様のかんざし血塗れのシーンとユキ様が鏡叩き割って拳ケガするシーンの描写、「血のつながり」を印象付けて関連付ける意味で本当に本当に綺麗すぎて溜息出ました。あの秘めた熱さという性質も、確実に血を受け継いでる証拠よ。



タイガきゅんの成長に感動した

 今回、タイガきゅんが衝撃受けてたカヅキ先輩のチャラチャラ感への落差というものがものすごくよくわかった。

 いや、ストリート系とアカデミー系でどれくらい差があるかっていうの、初心者の私にはあんまりよくわかってなかったんですよ。「どっちも人をドキドキワクワクさせるプリズムショーでしょ? ちょっと方向性に違いがあるくらいでしょ?」くらいの認識だったので。

 だからカヅキ先輩に対してタイガきゅんが「チャラチャラしやがって」っていう態度しちゃうの、ただ「ツンデレさんなんだなぁ、そうはいっても憧れなんだよな、かわいいな」くらいの浅い理解だった。

 あの憧れのストリート系カヅキさんの幻想が打ち砕かれる描写、ヒロ様のPRIDEが砕けたときの描写となんか似てなかったですか? なんかどこかのエリートの人これ検証してないかしら。カヅキ先輩はあれなんですか、人の心ブレイカーなんですか。

 そりゃねえ、そうですよね、幼少期に最初に見たプリズムショーが幼少カヅキさんのバーニングでフリーダムなショーで、ストリート系に対して熱く語るカヅキさんを見てそれに魅了されて、それを目指してきたタイガきゅんにとっては、あの「チャラチャラしてる」カヅキ先輩なんて到底受け入れられないだろうなっていうのはものすごくよくわかりました。映像にされると説得力が違いますね。

 でも、あれだけの衝撃を受けてなおカヅキさんに対するあこがれを消せなかったからこそ、彼はエデロの門をくぐったんだなぁ…と、感慨深いものを感じました。

 タイガきゅんパートに関しては、ユキ様みたいな「逃げていたものに向き合って、壁を乗り越える」という“わかりやすい”成長に比べるとちょっとわかりにくいけど、「憧れに近づく」「確かな一歩」としてすごく成長してるよなと思いました。

 カヅキ先輩が「オレがやるよ」って名乗り出たとき「いや、ここはオレが」ってタイガきゅんが進み出たところ。「憧れの人のショーを観れる」ことより「自分の故郷の祭りを自分の力で成功させるぞ」っていう攻めの姿勢を優先したところ。すごい良かったですね。

 自分ももう憧れを追うだけの後輩じゃなくて、ちゃんとみんなを盛り上げられるプリズムスタァなんだっていう自覚が、確信に変わったという意味では、ものすごい成長なんじゃないかなと思いました。地味に難しいじゃないですか、憧れを憧れにしたまま立ち止まった足を一歩前に進めることって。「カヅキさんの切り開いてきた道を歩いているだけ」の自分から、もう一歩踏み出して、自分にしかできないプリズムショーをつくる度胸。

 これがスタァなんだなと思った。

 Shiny Seven Starsでは、こういうスタァを七人分見られるんだなと思うと、次の公開に対する期待も膨らみますね。

 

家族の描写が素晴らしい

 ユキ様パートも素晴らしかったですね。一族の経緯とユキ様に託されたもの。ちゃんとメインキャラだけじゃなくて、そのキャラを育てた環境、家族というものを描いてくれるのがすごくいい。お父様の苦労とか、ユキ様のショーの最後で「お師匠…!」ってなっちゃうところとか、すごくよかった。

 そしてタイガきゅんの家族がめっちゃかわいかったという話をしたい。全体的に可愛い。

 お姉ちゃん明るくてすごくいいですね。ああいうお姉ちゃんの弟はああなりがち。わかる。かわいい。つんつんしてるタイガきゅん可愛い。

 あとタイガきゅんが両膝を親戚の子に占拠されてるとこ尊みMAXでしたありがとう。そういえばあの子達の髪色がさぁ……ちょっとあんわかっぽくなかったです……? 偶然かな?

 お母さんはストリート系黒川冷のファンだったんですね…家族に隠してたの奥ゆかしくてかわいい…。

 それとアルバムの写真に写ってるお父さん、いちいちタイガきゅんよりカチコチに緊張して写ってたのめっちゃ可愛かった…そうか、タイガきゅんのあの感じはお父さんゆずりだったんだな…。

 

カヅキ先輩オタクの叫びみたいなもの

 カヅキ先輩はさぁ…あれがカヅキ先輩だよね…と思いました。

 誰か一人に決めるっていうのはカヅキ先輩一生できなそうだよな…とか思って…。誰でも拒まず受け入れてしまう性格だから、全員に誠実であろうとすると、結局誰のことも一線を越えたところまでは踏み込ませないという選択肢に行き着いてしまう感……。

 あの、あんわかから逃げてる宙ぶらりんなカヅキ先輩こそが彼の最大の魅力じゃないですか? カヅキ先輩が絡むカップリングを妄想するとき必ずそこがネックにならないですか? 誰か一人を特別に扱った途端、彼の通してきた筋というか芯がちょっと歪んでしまって、彼の魅力が半減しちゃったりするんじゃないかなととても心配です。

 恋愛をすっ飛ばした段階なら想像できるんですよね。たとえば、カヅキ先輩の広すぎる心を許容できるくらい懐の深いパートナーを得たカヅキ先輩が、その人と二人して周りにお節介焼いてたらいいなぁとか。おうち開放して近所の子供集めて遊び相手してそうじゃない?とか。だけどどうも、愛情の矢印がどこかに一点集中してるカヅキ先輩が想像できないんですよね。彼カリスマでもあるから、なし崩し的に突破できるタイプでもなさそうじゃないですか。彼の優しさに甘えて一線超えようとしたら「こら、だめだろ」ってちゃんとブロックされそうじゃないですか。その人のためにならない甘えは許さなそうというか。

 …我ながらめんどくさいオタクだな!

 

その他雑感

・ちっちゃいユキ様、ちっちゃいタイガきゅん、素晴らしかったです。かわいいです。

・幼少期のあんわか可愛かったです。わかにゃんは遠くから見てたんだね。

・小学生カヅキ先輩の黒髪、好きです。ショタ!って感じですごくすきです。白くしたのはあれかな、やっぱり黒川さんリスペクトなのかな(そのへん詳しくないので知りたい)かわいいな…

・カヅキ先輩があんわかから逃げるシーン、チェリピキ流れてましたね。すき。

・タイガきゅんがカケルに渡したタクシー代って前作のあれですか? めっちゃ律儀だなこの子!! カケルくんがまいどありーって言ってるとこ見るとお金溜まったら少しずつ返してんのかな…えらいな…



 というわけで、めちゃくちゃ面白かったです。KING OF PRISM-Shiny Seven Stars-をこれからも応援しています。今日は静かに映画を噛みしめられたので、次はみんなと盛り上がりに応援上映も行こうかな。

会話というものの難しさ

 「過剰適応型適応障害」。

 2016年秋、わたしについた病名。
 最初はなんのこっちゃと思ったが、最近ようやくわたしの根っこに染みついた悪癖について、いろんなことがわかってきた。今日はわたしがとっても苦手とする「会話」という生き物について話そうと思う。

「会話は生き物」の受け入れがたさ

 昔から、人とコミュニケーションをとるのが苦手だった。相手の顔色を窺い、相手の欲しい返しを即座に返す。なんて高度なことをみんなはやっているんだろうと思いつつ、しばしばこちらの予測した範囲を超えた反応が返ってくると困惑し、処理落ちした。
 だから会話は苦手だった。一対一ならまだしも、三人以上での会話になると二人分の発話と返事を予測し、二人分の顔色を窺わなければならない。結果、わたしが発話する隙はなく、ただ二人の会話に相槌を打つ存在になっていた。
 わたしが考えてきたコミュニケーションは確かに高度すぎる。だが、ほとんどの人間はわたしのようには会話を捉えていないようだと、最近気がついた。
 どうも、その場その場で自分が考えたことを発話しているだけなのだ。その場その場の話題に、思い思いに反応を示しているだけなのだ。わたしがふだんやるように、相手の反応を先回りして譲歩したり、相手の期待した反応をして見せたりはしていないのだ。
 昔からコミュニケーションを苦手としていたのは、わたしの「先を読みすぎる」「相手に気を遣いすぎる」という、生来の性格のせいだったらしい。ほとんどの人はそこまで他人に気を遣わないらしい。まじかよ。でもそれでだいたいの人はやっていけるのだ。まじかよ。


 小学生のときから、君はまじめだからと学級委員長やクラス委員をやらされ、中学では絶対にリーダーはやらんと思ったのに学級委員長に推薦され、周りからも君以外にいないと推されて仕方なく委員長を三期続けてやった。あの頃の学校生活は本当に苦行だった。一枚岩ではない思春期の男女が集うクラスのまとめ役としてありながら、担任教師からの信頼も厚く、「教師に反抗的な生徒たちvs教師たち」という構図の板挟みになっていた。両者の間を取り持つのは決してわたしの仕事ではないはずだったが、周りがそう期待したのでやらざるをえなかった。

 今考えるとどうも可愛げのない優等生だったし、わたしの使いどころなどそのあたりしかなかったのだろう。そう、人の顔色を窺ってうまく立ち回ることくらいしか、わたしに取り柄はなかったのだ。

 高校に入って部活が楽しくなっても、相変わらず他にやる人がいないからと部長になり、同期がやらかした問題の全責任を先輩から問い詰められ、教えられもしなかったことをあとから明かされてきちんとやれとお叱りを受け、兼部勢の〆切ブレイカーズに神経をすり減らされても、誰もいない部室で進んで部誌の編集作業にあたり、日が暮れるまで生徒会室の印刷機とにらめっこしていた。

 たまに他の部活の友人に助っ人を頼まれて断り切れずに受けたが、そのために本部活を留守にしたので部長としての責任感が足りないと先輩部長に謗られたりもした。『いや、普段誰も部室にいないくせにわたしにだけ責任感とか言う?』とは思ったが、たしかにわたしの留守を託す宛てを作らないままほいほい助っ人に出たのは浅はかだったので黙って謝った。

 

 わたしの失敗談を掘り返すと、ど「目の前の人間の顔色を窺いすぎ」なことに起因していることがわかる。クラス中の期待の視線、先生の信頼の目線、部活動仲間の…なんだ?あれはなんだった?まあこいつに任せとけばいいやみたいな視線だ。部活に関しては好きでやっていたことなので別に悪い気はしなかったが、よその部活への助っ人を引き受けたのは目の前の友人に何度も頼まれて断り切れなかったからだ。

 どうもその視線が正であろうと負であろうと、「期待のまなざし」というものに折れやすい性格だったらしい。他人から見ればお人好しとも、都合のいい人間とも言うのだろうか。
 とにかくその場を丸く収めることだけを考えて、率先して面倒くさかったり分が悪かったりする役を引き受けてしまうのだった。結果、まあ面倒くさくて分が悪いので苦しむのだ。引き受けた先の悪い結果がわかっていても引き受けてしまうのがわたしの悪癖だった。

 この「気を遣いすぎる」というわたしの性格が、会話の難易度を格段に上げていたらしい。今日も通院している心療内科で似たようなことを言われた。相手の反応を予測して先回りして喋る癖があると。オタク特有の早口みたいなものだと思ってくれればいい。あれがもっとテンション低めでうだうだと続く。遮られたり相槌をうたれる猶予がないほど、伝えたい情報をひとまとめに喋ってしまうのだ。信頼している医師相手でもその調子だ。克服には時間がかかるだろう。

 相手に気を遣いすぎるから、予想外が連発する会話の流れについていくのがストレスになり、一度の会話でかなり疲弊する。会話というものに苦手意識を持ち、何度もその日の会話を脳内ループ再生して悪かった点を洗い出す。次の日の会話は前日の夜にあらかた用意しておいたことをまたひとまとめにして話す、その繰り返しだ。

 実はもっと、その場その場で揺れ動く曖昧なものなのだ。会話というのは。わたし一人が展開を予測できるほど単純なものではないのだ。けれど「会話は生き物」というその事実が、先回りして先手を打っておきたい性格のわたしにはどうにも受け入れがたいものだった。

 人と関わらずに過ごせるなら過ごしたいと思ってしまうのは、会話に感じているハードルが一般の人間より高すぎるせいなのだろう。

 

「会話を管理したい」

 わたしは一次創作というものを最大の趣味にしているが、思えば一番の動機はこれだったかもしれない。絵が描けるからとか、お話を描くのが好きとか、本を読むのが好きとかそういう次元の以前に、「生身の人間との会話が苦手すぎて自分で管理できる会話に身を置きたい」という動機だ。

 

 自分で想定できるキャラクターの内面、自分で設定できる舞台背景、そこで織りなされる、ある程度自分にも予想のつく会話の内容を書き留める。最初に一次創作を始めたころのノートには、「誰がしゃべっているか」という情報とともに、滔々と「会話」が続く。その中でさまざまなアクションが起こっていようと、書き留められていないのだ。
 漫画を描くことを覚えてからは、キャラクターの顔を交互に描いて、吹き出しにセリフを入れる、いわゆる顔漫画をよく描いていた。あれはわたしにとっては「会話漫画」だ。誰が何を発言しているかがわかればそれでよかった。
 登場人物が三人以上になると、会話も厚みを増してくる。一対二の構図がたまに一対一対一になり、二対一になり、また一対二に戻ったりする。アクションもついて、なんとなく言葉で説明しなくても、どこでどんな状況になっているかわかるくらいの漫画が描けるようになった。それでもアクションが中心になるコマは少ない。中学生くらいまでに描いたものの大半はまだ「会話」をしているだけの漫画だった。

 

 一次創作のキャラクターに会話をさせるという発想は、わたしなりの現実シミュレーションが始まりだったと言っていいのかもしれない。家に帰ってぼうっと天井を眺めながら今日の生モノの会話を思い返し、あそこでこう返せばこういう流れになっただろうか、とシミュレーションしてみる。いくら頭で考えたところで終着点が見えないので、次元を落として二次元キャラクターに喋らせることで可視化する。そこでオチがつくと、ああ、会話って面白い、と思える。ただし、この作業が面白いと感じるのは、ある程度自分で会話を管理できたという達成感からだ。


 無論、二次元であろうと会話は生き物だった。キャラクターAが発言したことに、キャラクターBが否定的な反応を返せば、Aは怒るか、悲しむか、驚くか…Bが肯定的な反応を返せば、Aは喜ぶか、話を続けるか…。一つの選択肢の先には、無数の選択肢が待っている。だから何度も何度も同じキャラクターで同じ状況を再現し、どんなふうに会話に違いが出るかを繰り返し確認する。この作業が楽しいと思えてしまったから、今こんなに一次創作にのめり込んでいるのだろう。同時に、生身の人間との会話に割けるエネルギーが枯渇したのは確かだ。私は小学生の後半にはすでに引きこもりの気質を見せていた。


 二次元のキャラクターはわたしにとって他人でありながらどこか俯瞰できる存在で、時間の流れが違うから次のコマを描くのに一日かかっても、漫画の中では即座に反応を返したように見える。この管理しやすい会話を管理するのが楽しくて、飛ぶように過ぎていく時間を共有している生身の人間との会話はペースが速すぎて消耗した。

 

未だに高い会話という障壁

 今でもなお生身の人間との会話は苦手だ。誰かと会う約束があると、仲のいい人だから会えるのが楽しみではあるのだが、無数の会話パターンを想定しては一喜一憂してしまい、前日にはもう出かけるのが憂鬱になってくる。会う相手が苦手とかではなく、いざ本番の会話でへまをすることが怖くて足がすくむのだ。

 大抵は、気のいい友人たちなので会ってしまえば緊張などしないのだが、会うまでが不安で押しつぶされそうになる。なので、道端でばったり会ってちょうどどちらも暇だから一緒にお茶をする、くらいが最もわたしにちょうどいい遊び方なのだ。

 つまり、「会話をする予定がある」状態がもっともわたしにとってストレスが大きいのだ。だれとも喋る必要のない、一人で映画館とか一人カラオケとかなら、店員さんと少し情報をやり取りすればいいだけなので、そこまでストレスがかからない。

 もちろんばったり会う時に両方用事がないなんてことはないし、そもそも道端でばったり会うことなんてほぼない。

 

 以上が対友人の会話だが、対他人となるともう緊張度合いが恐ろしいことになる。何と言っても相手の反応がまったく想定できない。どんなことに興味があって、どんなことが好きで嫌いで、どんな態度だったら失礼じゃないか、そういったことがほぼ未確定の状態で会わなければいけない。面接とか無理だ。こわい。もちろん想定できる状況はまああるわけだから、できないわけではないが、これは恐怖度の問題だ。恐ろしいのだ。

 

 対他人の場合、自分がへまをすることが怖いというより、未知の場所に足を踏み入れて生きて帰ってこられる気がしない、という、戦場に赴くような漠然とした恐怖に晒されているような心境だ。自分の発話に関して返ってくる反応が予想できないばかりか、わたしが反応すべき質問の類もまったく予想できないのだから、本当に困る。

 もし仮に「好きな食べ物は何ですか?」なんて聞かれたらどう答えればいい? それは何を期待しての質問なんだ? 高価なものは避けたほうがいいか? むしろ安価すぎるものは好感度が下がるか? どれくらいの頻度で食べていれば好きなものにカウントされる? ……といった具合に、もうさまざまな配慮すべき点が浮かんでは消え、脳の処理が追いつかなくなる。簡単な質問ほどわたしには簡単ではないのだ。

 

 これがわたしの気を遣いすぎる悪癖による、会話における弊害だ。具体的に言うと、他人との会話というイベントが発生する一か月前には気の重さがあり、一週間前には憂鬱になり、三日前には体調不良になり、前日には胃の痛みと頭痛がして眠れず、当日は寝不足なのに緊張度合いがMAXというコンディションの悪さである。
 今から治せる気がしないが、治ったらどんなに気楽な人生を送れるかと思わなくもない。もう少し会話というものに対して気楽に構えて、会話を楽しみにして約束の日を待つことができるようになりたいものだ。


 何はともあれ、「会話という生き物に慣れる」という域にまで達する前に疲弊しまくって、他人との会話を避けてきてしまった今までのツケが、今後回ってくるのだろうなと薄々感じている今日この頃だ。

 

【コラム:今日の御言葉】

 昔から心が乱れた時には聖書を開くことにしている。今はスマホに聖書が入っていてとても便利だ。

www.bible.com

 うん、なるほど、いい言葉で心を満たせば、悪いことや、考えても仕方のない不安なことをうだうだ考える暇もなくなるかもしれない。

 聖句というのは不思議で、読むたびに自分の状況の違いによって味わいも違ってくる。クリスチャンホームで10歳の頃には聖書を与えられたものの一度も真剣に通読したことがないという万年にわかクリスチャンだが、今までの人生で何度も救われてきたのは確かだ。さすが世界で最も読まれているロングベストセラーなだけはある。

 

 上記のアプリでは英語のみならずギリシャ語、ヘブライ語ラテン語など、またほかのメジャーマイナー問わない言語まで対訳をたくさん確認できて、言語オタク的にも嬉しい。アルメニア語訳聖書とか見てみて。まず字が読めない。

 

アカウント作っちゃった

創作のことと関係ないような、それでも私がたまに考えていることとかをだらだらと書き残す場所が欲しくて。

 

日記とか思考メモとして使おうかなと考えている。

 

ただ普段の思考の大半は創作に占められているので、創作と関係あることもたまに書くかもしれない。

 

おそらく内向的な記事が多めになるかなと思うので、外部向けではない。自分のためのブログ。